おじいちゃんの話と結婚

入籍して一年が経った。

 

それから1ヶ月経ったある日おじいちゃんが死んだ。

 

 

私の母方の祖父であり、3年ぐらいは会っていなかったと思う。

保育園の時や小学生の時は長期休みに入ると必ず会いに行っていた。泊まったりご飯に連れて行ってくれたり。TVで駅伝を観るのが好きな祖父だった。昔はタクシードライバーをしていたらしい。中学生になると家に行くことは無くなった。いや、行くのを拒否するようになった。

 

当時、所謂「不登校」ってやつになりまして。学校はおろか、外にも出たくない日々を過ごした。その時の葛藤はまた別の話。 

 

高校生、大学生時代はそれぞれ一回ずつ程。母方の祖母の葬式と姉の結婚式にてである。

 

こうやって大人になるにつれて会わなくなったのだが、亡くなる3年前の姿が胸に突き刺さった。記憶の中のおじいちゃんと今目の前に居るおじいちゃんとがあまりにもかけ離れていた為だ。

 

体も細くなり顔つきも変わり、頬もこけている。滑舌も少し悪くなったようだ。それでも久々に家へ来た私を見ると「よく来たね」と嬉しそうな様子。リビングには昔はなかったテーブルが増えていた。あっ、と思うとおじいちゃんの方から「このテーブルいくらだと思う?」と。どうやら割と最近に購入したものらしい。中古であるとの事で、状態の割にかなりお値打ちだった。良い物が手に入ったと屈託なく笑うその姿に私は泣いてしまった。

 

 

 

そして去年の2月に亡くなった。

 

 

 

葬儀の日程が決まり職場に休みを貰った。

 

当日の朝。葬儀に足が向かなかった。

 

昨夜までは明日のスケジュールを確認していたはずなのに。家族からの鳴り止まない電話。出るのが怖くてコールが鳴り止むまで耐える。

 

気持ちの整理がつかなかった。物心が付く前からの関係であり、私には私だけの思い出がある。「死」との向き合い方、葬儀に参列する親戚や家族。あの日の空気感。自分を纏っている環境を少しでも理解してから向かいたかった。

「不届き者」と思われたかもしれない。ただ、弔う気持ちを葬儀への参列だけで図ってほしくないのである。

 

 

しかし、妻の立場は私とは大きく違っていた。

 

 

妻は祖父に会ったことがない。しかし、結婚をした以上親戚づきあいは必至。

さらに今回は親戚一同に結婚したことや、妻を紹介する場でもあった。

私が長男である為、「長男の妻」として、私の名字や家を背負って身の振り方を真剣に考えてくれていたのである。

 

電話がかかってくる事は無くなった。葬儀が始まる時間だ。

 

同棲時代に喧嘩をすることは無かった。お互いがお互いに自由に平和に暮らしていたからだ。

 

Q:結婚とは?

 

よくある質問であるが、今回の一件で分かった。

A:結婚とはお互いの親戚と親戚づきあいをしなければいけないという事。

 

大喧嘩しながら車を走らす。

式場に着くとホールの中の声から直に出棺だという事が分かった。外で待ち、出棺を見送る。祖父の最期の姿に手を合わせる事も出来なかった。

 

 

 

自宅に戻ると妻が出ていった。

 

もう離婚するとのこと。

 

 

何日間か出ていかれた後、必死に連絡をして帰ってきてもらった。

自分の事しか考えていなくてごめんなさい。

 

仲直りをした後は改めて祖父の家に行くと話し合って、後日家へとお邪魔しました。

 

仏壇の前で合掌。葬式に行かなかった事を謝罪。

遺品整理はほぼ終わっており、残されていたアルバムやタクシードライバー時代の手帳などを拝見させてもらった。

 

 

私が知っているのはおじいちゃんのほんの一部であり、人生のほんの一瞬であった。

そんな一瞬でも同じ時間を過ごせた事は幸せな時間だった事に気づかされました。

最期の姿と向きあう事であの時のおじいちゃん像との乖離が怖くなってしまう自分がいたのだろう。でも、少しでも大事にしていたのであればどんな姿でも最期まで見届ける事が義務であったと今は思う。

 

 

 

大人になってからスポーツ観戦が面白いと思えるようになった。

 

もちろん駅伝も。